気になる言葉 on 国語辞典

つい気になった言葉など、辞書で引いてみる

「蛇の生殺し」。蛇は生殺しをするのか、それとも蛇が生殺しにされるのか。

「生殺し」って言葉は、なかなか怖い。

響きも怖いんだけど、辞書の語釈もそうとう怖い。『広辞苑』第六版を見る。 

なま‐ごろし【生殺し】
(1)ほとんど死ぬばかりの状態にしておくこと。はんごろし。「へびの—」
(2)結末をつけずに、相手が困り苦しむのをほうっておくこと。中途半端にしておくこと。

ちなみに「死ぬばかりの状態」 の部分は辞書によってニュアンスが異なる。『明鏡』は『広辞苑』と同様の感じ。しかし『大辞林』第二版は「殺す寸前」と言う。また『日本国語大辞典』も「ほとんど死ぬぐらい」としている。

広辞苑』ないし『明鏡』では、「生殺し」にされた奴は放っておけば死ぬが、『大辞林』や『日本国語大辞典』では、放っておいても復活の可能性はあるわけだ。

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

それはともかく「蛇の生殺し」という言い回しがある。子供の頃は、蛇が獲物を生殺しにしていたぶる意味かと思っていた。

蛇 (講談社学術文庫)

蛇 (講談社学術文庫)

なぜそう思ったかと言えば、「生殺し」にしておいた「蛇」の「使い道」がわからなかったから。

まさかそのまま食って「ギリギリ活造りです」とか言うわけでもあるまい。「てめえ、よくもイブに林檎を食わせやがったな」とか、そういうキリスト教徒の怒りがこめられているわけでもなかろう。

実はこれ、辞書を見てもよくわからない。『広辞苑』を見る。

○蛇の生殺(なまごろ)し
(1)半死半生の状態にして放置すること。
(2)物事にある程度まで手をつけながら決着はつけずにおくこと。 

蛇は、いったい生殺しする主体であるのか、それとも生殺しされる客体であるのか。 これをわかりやすく説明してくれている国語辞典はほとんどないようだ。

ことわざ辞典にたよるしかないか。しかたなく『成語林』を引っ張りだす。「蛇の生殺し」でも蛇が客体であることは明示しているが、もっとわかりやすい諺を引こう。「蛇の生殺しは人を噛む」だ。

蛇の生殺しは人を噛む
(蛇をさんざん痛めつけて、生かしも殺しもせずに放置しておくと、蛇は起こって人をかむという意から)物事に決着をつけず、あいまいなままで放置しておくと、恨みを受けて害を招くことになりやすいといういましめ。

蛇を「生殺し」にして、食ったり、猫のおもちゃにしたり、イブに林檎を食わせた人間としての恨みを晴らすわけじゃなかったのだ。「生殺し」にして、何かするんじゃなく、「しちゃいけないこと」の例示として「蛇の生殺し」という言葉があるのだ。

そういうところからきっと、「ちゃんと頭を潰しておいたか?」なんていう、蛇を殺したさいの確認の言葉も生まれたんだろうな。 

「頭潰したか?」の具体的な使い方は、落語の「らくだ」がわかりやすい。

古今亭志ん生 名演大全集 3 らくだ/強情灸/親子酒/宿屋の富

古今亭志ん生 名演大全集 3 らくだ/強情灸/親子酒/宿屋の富