「一宿一飯の恩義」という言葉がある。まあありがたいのだろうなと思っていたが、辞書を見てむしろ悩んだりもする。
「一宿一飯」。はたして「ありがたい」という意味なのか、それほどでもないのかわかりにくいな via 三省堂国語辞典 #国語辞典 #辞書 pic.twitter.com/G3QIW0ULRQ
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2014, 3月 7
「恩義」というんだからありがたいんだろ。しかし「一宿一飯」程度に「過ぎない」恩義ということで「たいしたことない」という意味であるケースも考えられる。
ちょっとこの辞書の説明からだけではわからない。そして実は他の辞書の説明を見ても、注釈風の部分を見てみないとわかりにくい。
『広辞苑』第六版を引く。
いっしゅく‐いっぱん【一宿一飯】
一晩とめてもらい、一度食事をふるまわれること。ちょっとした世話になること。博徒仁義ではこれを生涯の恩義とする。「—の恩義」
そう。大事なのは「博徒の仁義では」というところ。一般の人にはわかりにくいが、明日をも知れぬ博徒の世界では、一宿一飯が非常に大事な恩義になるらしいのだ。
つまり、逆説的に言えば一般の人にとっては「別にありがたくない」のだ。
そこからもう少し考えてみよう。「やくざ」などと付き合っていると、大きな社会問題となるのが昨今だ。おそらく『三省堂国語辞典』は「博徒」の観点を持ち込むまいとしたのだろう。それで「一宿一飯」についての価値判断を明記しなかったのだ。見事なり、『三省堂国語辞典』。
と、いうか。実は小型辞典のほとんどは「一宿一飯」についての「価値判断」を放棄している。たぶん、どこかの辞書がヤバイ橋を渡ったに違いない。
(そんなことはあるまい)。
てかまあなんだ。「一宿一飯」なんて言葉。任侠映画か冗談の中でしか出てこないんだもの、その本質的意味を問うた所でしょうがないってことなんだろう。