「杓子定規」の意味について、ぼくは(ほぼ)50歳になるまで自信を持っていた。すなわち、次のように思っていたのだ。
しゃくしじょうぎ【杓子定規】(名・形動ダ)
ただ一つの標準ですべてを決めようとするやり方で、ゆうずうのきかないこと。
ちなみに上の語釈は『三省堂国語辞典』のもの。ただ、どうやらこの語釈は誤っているないし、前提を飛ばしてしまっているようなのだ。
『日本国語大辞典』を引こう。
しゃくしじょうぎ【杓子定規】
(昔、杓子の柄が曲がっていたところから)
(1)誤った基準でものをはかろうとすること。杓子を定規にすること。
(2)一定の基準で他を律しようとすること。きまりきった考えや形式にとらわれて、応用・融通のきかないこと。
二番目の語釈のみをみれば『三省堂国語辞典』と同じに見える。しかし前提として、そもそも定規が「間違っている」ということがあるようなのだ。
『広辞苑』もみておく。
しゃくしじょうぎ【杓子定規】
(1)(杓子の曲がった柄を定規に利用したところから)正しくない定規ではかること。
(2)一定の標準を強いて他を律しようとすること。形式にとらわれて応用や融通のきなないこと。
ふむ。2番目の語釈の、とくに後段をみると『三省堂国語辞典』でいーじゃんという感じがする。ただ、やはり前提として「正しくない定規」というのがあるようなのだ。
ぼくはずっと、「米」も「ヒエ」も、あるいは「味噌汁」までも同じもので測ろうとする愚かしさを言う言葉なのかと思っていた。
「杓子定規はそもそも曲がっているので定規の役には立ちません!」ということが前提なのだな。
まるで中島みゆきだな。「まっすぐな線はまっすぐな定規をつかわないと引けないんだよ」と彼女は歌っている。12歳のぼくは、そういう「あたりまえ」を揺さぶる彼女に衝撃をうけたものだった。
まあ、そんな話はいい。杓子については昨日、記事を書いている。
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