イ・セドルが負けて以来、人工知能(AI)は一層の迫力を持って受け止められるようになった感じ。
イ・セドル九段は終了後の記者会見で「負けるとは思っていなかったので、驚いた。こんなに完璧な囲碁を打つとは思わなかった」と語った。 via #日経新聞 #囲碁
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2016年3月9日
人工知能、トップ棋士破るhttps://t.co/eYWQo61WKT
そういえば人工知能、国語辞典ではどう定義されてるんだっけなといくつか眺めてみた。
まず驚いたのは『新明解』第三版(1981年)や『広辞苑』第三版(1983年)に立項されていないことだった。
確かに90年代までは、人工知能懐疑論がふつうあったわけで、人工知能という言葉にも怪しさがつきまとったりはしていたけれど、80年あたりの辞書に載っていないのはちょっと驚いた。
まあ90年代の技術者たちもふつうに『コンピューターには何ができないか』なんて本を読んでいたりしたけれど。
それはまあともかく。辞書をみていてなかなか興味深い語釈だったのが『日本国語大辞典』だ。
じんこう‐ちのう 【人工知能】
〔名〕
({英}artificial intelligence の訳語)
学習、推論、問題解決、判断、知識表現など人間の能力に近い機能を持ったコンピュータによる情報処理システム。応用分野として、自然言語理解、機械翻訳、コンサルテーション(エキスパート)システムなどがある。AI
「人間の能力に近い機能を持った…情報処理システム」という言葉。これは次回の改定では絶対に変更されるんだろうな。「コンサルテーション」を「エキスパートシステム」により解決しようとしていたのも90年代技術の話っぽくて、きっと次版では表現が変わるんじゃないかと思う。
ちなみに『広辞苑』第六版によれば「人工知能」という言葉は「1956年に、アメリカのマッカーシーが命名」したものであるとのこと。ついでに定義も見ておく。
じんこうちのう【人工知能】
(artificial intelligence)推論・判断などの知的な機能を人工的に実現するための研究。また、これらの機能を備えたコンピューター・システム。1956年に、アメリカのマッカーシー(J.McCarthy 1927-)が命名。知識を蓄積するデータベース部、集めた知識から結論をひきだす推論部が不可欠である。データベースを自動的に構築したり誤った知識を訂正したりする学習機能を持つものもある。AI。
次版で変わるんだろうと思えるのは『新明解』(第七版)も同じ。こちらも「人間の知能の優位性」を言っているようにも読み取れる。
じんこうちのう【人工知能】
電子計算機に、高度の判断機能を持ったプログラムを記憶させ、大量の知識をデータベースとして備えて、推論・学習など人間の知能の働きに近い能力をもたせようとするもの。AI。
まあ『明鏡』も「人間のもつ知の機能を代行するコンピューターシステム」なんていう傲慢な(?)定義をしている。
『新明解』では「高度の判断機能を持ったプログラムを記憶さえ」というところも目につくところ。この書き方では、書かれた(開発された)時点でのプログラムの優位性を主張しているようで、最近の「ディープラーニング」(深層学習)を想定していないともとれる。これもやはり次版では改訂されることと思われる。
シンプルなのは毎度『三省堂国語辞典』(第七版)かな。
じんこうちのう【人工知能】
(名)
学習・推論・判断など、人間の知能のはたらきをそなえたコンピューターシステム。AI.
人間の知能のはたらきをそなえたのか、それとも違うかたちの「何か」の働きをそなえるのかは微妙かもしれないけれど、まあそれはあくまでも「比喩」であると表現することで、しばらく改訂の必要のない語釈と言えるかな。
ところで『広辞苑』には「じんこうつうふう」という言葉が載っている。一瞬「人工痛風」かと思って「なんじゃそれ」と思ったな。字が異なり「人工通風」だった。