「もともとは『傍ら痛し』であった」なんてことがいろんな辞書に書いてある。
それはそれとして『明鏡』だよな。
実力もないのに思い上がっている相手の態度がこっけいで、ばかばかしく感じる。ちゃんちゃらおかしい。笑止千万だ。「あれで真打ちとは―」
例文が洒落てるな。でも「あれで真打ちとは」のニュアンスが、現代にどれだけ伝わるんだろうか。
(そういえば「笑止」についても 前に記事を書いた)
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ところで『新明解』第七版ではちょっと面白い解釈が成されている。
〔たいした人間でないことを知っている自分から見て〕その人があんなえらぶった言動をしたり態度を示したりするのが何とも滑稽で、見ていられない感じだ。
これは新旧混ざった解釈なのかもしれない。『 古語大辞典』の語誌を見てみる。
「傍ら」と「痛し」の複合語。「うしろやすし」「うしろめたし」と類似した構造を持つ。従って、傍らの人の思わくや批評が気になるさま、反面自分の欠陥が自覚されている
これが当初のニュアンスであるとして、語釈として以下を示している。
(1)他者の見聞きして思う所が気になる。はたの見る目が恥ずかしい。「聞こえさせむにつけて、いと傍ら痛き心地して」〈宇津保・嵯峨院〉。
そこから派生して、みっともなく思う主体が他に移動する。
(2)第三者から見聞きして見苦しい。みっともない。「良しとも覚えぬわが歌を人に語りて、人のほめなどしたる由いふも傍ら痛し」〈枕草子・九六〉
『新明解』のいうような、自分が評価して他者のおかしさを言うのは「傍ら」が「片腹」に転換してからのことだと『古語大辞典』では解説している。
諸説あるんだろうけれど、『新明解』の解釈はある種「慇懃無礼」な態度によるもので、それこそ「片腹痛い」とされてしまうのではないかと思う。
『明鏡』すごいね~という話を書こうと思ったら、思わず長くなった。
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