ツイートがあった。
【直したい表現】「ぬれ手に泡」→○「ぬれ手であわ」 ◆ぬれた手で粟(あわ)をつかむと、手にくっついて楽にたくさんとれることから
— 毎日新聞・校閲グループ (@mainichi_kotoba) June 30, 2013
「に」と「で」 の微妙な違いを言ってるのかと思った。「濡れ手で粟」が正しくて「濡れ手に粟」は間違っていますよ、と。
ふ~む、そうかな。どのような違いがあらわれるのだろうとしばし考えた。
しかしよく見ると「泡」だ。毎日新聞・校閲グループが強調しているのは「泡」だった。
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いやあ、いないだろうよ。「濡れ手に泡」なんて表記を見たこともないし、それが話題になったのも聞いたことがない。
と、思いつつ、『大辞泉』第二版を見てみた。すると「補説」として以下の説明があった。
「濡れ手で泡」と書き、いくら努力しても実りがないことの意とするのは誤り。
おお。辞書でわざわざ説明しているというのは、確かによくある間違いなのだろう。しかも変換ミスとかではなく、意味にもずれが生じているのか。みたことないけどなあ。
そもそも、この表記をした場合の「濡れ手」は何を意味するんだろう。働いても働いても暮らしが楽にならないから流す涙で濡れてる?
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ところで念のため、本当の意味もみておく。同じく『大辞泉』から。
濡れた手で粟をつかめば粟粒がたくさんついてくるように、ほねをおらずに多くの利益を得ること。やすやすと金もうけをすること。
ああ、確かに濡れた手で粟をつかめばたくさんついてくる。しかし「粟」ってのは、しばしば「ひえやあわ」と言われるもので、濡れ手で掴んでもそんなに「多くの利益」と羨ましがられるものでもないと思うがな。
『国史大辞典』ってのをみてみた。一部引いてみる。
持統天皇七年(六九三)には五穀の一つとして、他の四つとともにその生産が奨励されている。『常陸国風土記』『万葉集』によっても、あわ栽培の事実が知られる。このようにわが国では古くから米・麦についであわが重んじられ、為政者によってもその生産が奨励された。
なるほど。歴史と伝統の重みおあって「利益」が言われるのかもしれない。
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ちなみに、恐怖などで「皮膚があわだつ」ときに使うのは「粟立つ」の方。「粟」の項目に、この用法を書いている辞書は以外に少ない(「あわだつ」の立項はある)。手元の辞書では『大辞泉』第二版と『明鏡』くらいのようだった。
『大辞泉』から引いておく。
恐怖や寒さのため、皮膚一面にできる粟粒のようなぶつぶつ。「肌に―を生じる」
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