気になる言葉 on 国語辞典

つい気になった言葉など、辞書で引いてみる

濡れ手で…泡?

ツイートがあった。

」と「」 の微妙な違いを言ってるのかと思った。「濡れ手で粟」が正しくて「濡れ手に粟」は間違っていますよ、と。

ふ~む、そうかな。どのような違いがあらわれるのだろうとしばし考えた。

しかしよく見ると「」だ。毎日新聞・校閲グループが強調しているのは「」だった。

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 スタンダード・エディション [DVD]

バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 スタンダード・エディション [DVD]

いやあ、いないだろうよ。「濡れ手に泡」なんて表記を見たこともないし、それが話題になったのも聞いたことがない。

と、思いつつ、『大辞泉』第二版を見てみた。すると「補説」として以下の説明があった。

濡れ手で泡」と書き、いくら努力しても実りがないことの意とするのは誤り。

おお。辞書でわざわざ説明しているというのは、確かによくある間違いなのだろう。しかも変換ミスとかではなく、意味にもずれが生じているのか。みたことないけどなあ。

そもそも、この表記をした場合の「濡れ手」は何を意味するんだろう。働いても働いても暮らしが楽にならないから流す涙で濡れてる?

新編 啄木歌集 (岩波文庫)

新編 啄木歌集 (岩波文庫)

ところで念のため、本当の意味もみておく。同じく『大辞泉』から。

濡れた手で粟をつかめば粟粒がたくさんついてくるように、ほねをおらずに多くの利益を得ること。やすやすと金もうけをすること。

ああ、確かに濡れた手で粟をつかめばたくさんついてくる。しかし「粟」ってのは、しばしば「ひえやあわ」と言われるもので、濡れ手で掴んでもそんなに「多くの利益」と羨ましがられるものでもないと思うがな。

『国史大辞典』ってのをみてみた。一部引いてみる。

持統天皇七年(六九三)には五穀の一つとして、他の四つとともにその生産が奨励されている。『常陸国風土記』『万葉集』によっても、あわ栽培の事実が知られる。このようにわが国では古くから米・麦についであわが重んじられ、為政者によってもその生産が奨励された。

なるほど。歴史と伝統の重みおあって「利益」が言われるのかもしれない。 

ちなみに、恐怖などで「皮膚があわだつ」ときに使うのは「粟立つ」の方。「粟」の項目に、この用法を書いている辞書は以外に少ない(「あわだつ」の立項はある)。手元の辞書では『大辞泉』第二版と『明鏡』くらいのようだった。

『大辞泉』から引いておく。

恐怖や寒さのため、皮膚一面にできる粟粒のようなぶつぶつ。「肌に―を生じる」

恐怖 1 (ビッグコミックススペシャル)

恐怖 1 (ビッグコミックススペシャル)