講談社現代新書の『漢字雑談』(高島俊男)を読んでいると、次のような記述があった。
「りくつ」を(理窟でなく)「理屈」と書くのは、りくつから言えばおかしい。「理が屈する」というのは、話のすじみちが通らなくなって行きづまることである via『漢字雑談』
— maeda hiroaki (@torisan3500) July 4, 2013
そうそう。これ、昔から不思議に思ってたんだよな。調べてみたりはしなかったけど。なんで「道理」のことを「理が屈する」と書くのだろうと。
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本来は「理窟」と書いたのだそうだ。これも語源まで遡るとよくわからないけれど(詳細は『漢字雑談』に書いてある)、「窟」には「集まるところ」というニュアンスがあるそうな。
つまり「理窟」と書けば「理が集まる所」というような意味に解することができるらしい。
国語辞典を引いてみれば、たいていは「理屈」とあわせて「理窟」も書いてある。なんでだろうと思えば調べてみれば良かったんだな。
ところで『新漢語林』では「理屈」が「理窟」への空項目となっている。
(1)道理の多く蔵せられている所の意。窟は、岩屋・ほらあな・むろ。
(2)道理をよくわきまえている人。道理に明るい人。
(3)(国)(ア)物事のすじ道。道理。(イ)こじつけの道理・理由。
なるほど。
ところで『新潮日本語漢字辞典』の「理屈・理窟」にある例文が洒落ているので載せておこう。
「あの人は金持ちで世間が尊敬してゐるからして理窟もわかつてゐるに違ない」(野分)。
今風にいえば、「立派なエリートが管理しているから、原発管理には理窟が通っているに違いない」ってな感じかな。
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