気になる言葉 on 国語辞典

つい気になった言葉など、辞書で引いてみる

「ちゃどう」というのは何か間違っているように思えるが、実は「さどう」が間違っているのかも

「茶道」。これを「チャどう」と読むと、見たままに騙された間違った読み方のように感じないだろうか。教養の足りないぼくなどは、つい「ふふ」と笑いたくなってしまう。

茶道改良論 (講談社学術文庫)

茶道改良論 (講談社学術文庫)

しかし歴史と伝統に則れば、むしろ「ちゃどう」が正しいようだ。

NHK放送文化研究所の「最近気になる放送用語」でも「どちらでも良い」とある。

そうだったのか。十分に驚くんだが、辞書を見るともっと驚く。すなわち『広辞苑』第六版、『大辞泉』第二版、『三省堂国語辞典』第六版や『新潮現代国語辞典』など、多くの辞書で「サドウ」を引くと「チャドウ」を見ろと飛ばされるのだ。 

『岩波国語辞典』第七版・新版は、逆に「チャドウ」から「サドウ」に飛ぶようになっている。しかしそれでも「チャドウ」の方に「江戸時代までは『ちゃどう』が普通」と、わざわざ記述している。

「サドウ」を「チャドウ」に飛ばす『大辞泉』第二版の語釈を見てみる。

茶の湯によって精神を修養し礼法を究める道。鎌倉時代の禅寺での喫茶の儀礼を起源として、室町時代の村田珠光(むらたじゅこう)に始まり、武野紹鴎(たけのじょうおう)を経て千利休(せんのりきゅう)が大成、侘茶(わびちゃ)として広まった。利休後は表千家裏千家武者小路千家三千家に分かれ、ほかに多くの分派がある。現在では、ふつう「さどう」という

ふつうは「さどう」だとしながら、多くの辞書は「さどう」を空項目として「ちゃどう」に飛ばす。これは、もしかすると「さどう」の読み方は誤読から生じたことを意味するのかな。

いずれにせよ「チャドウ」という読みに接したときに「あれ、間違ってんじゃない?」などと思うぼくは、教養が足りていないわけだ。

普段から「チャドウ」と発音している人には全く何の意味もないエントリーで失礼いたしました。

茶道の美学 (講談社学術文庫)

茶道の美学 (講談社学術文庫)