ちょっと気になることがあって『オツベルと象』を読みなおしてみた。
白象は仲間に助けを求めるときに手紙を書く。その手紙はこんな具合だ。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」
宮沢賢治は、いろいろと独特の表現をする人だ。「眼にあっている」もそうなんだろうか。実はそうではないようだ。
『日本国語大辞典』をみてみる。
めに遭(あ)う
ひどい目にあう。難儀する。
そうなのだ。「めに遭う」だけで「ひどい目にあう」の意味があるのだそうだ。『広辞苑』第六版も見ておこう。
目に会う
(修飾語句を伴って)ある体験に遭遇する。「つらい—」「ひどい—」>多く、好ましくない場合に用いる。
修飾語句をつけるのが普通だとしつつ、一般的に「好ましくない場合に用いる」としている。すなわち、そういう一般的な用途で用いるのであれば「ひどい」という形容は省くことができるのだろう。
言われてみれば納得だけど、知らなかったな。
ところで『オツベルと象』。最初に読んだのは教科書だった。但しタイトルは『オッペルと象』になっていた。「ベ」と「ペ」、それから「ツ」が促音になっているかどうかが違う。また、最後の判読不能な一字は「君」と補われていた。
この辺りについてはWikipediaに説明がある。
かつては全集編集の際の手違いから『オッペルと象』というタイトルにされていた…。このうち「ッ」については初出誌『月曜』では、促音も通常の文字と同じ大きさになっているため、実際の発音・表記が「オツベル」なのか「オッベル」のいずれであるかは不詳である…。また、『月曜』では、末尾部に一字分が黒四角(■)になっている部分がある。…『校本 宮澤賢治全集』よりも前の全集ではこの箇所を「君」という文字に校訂していた。
「君」という呼びかけに味を感じたりもしていたけれど、勝手な改変だったわけだな。
尚、読み返してみると「象」がさほどに「純粋無垢」でないことにまず驚いたな。