『辞書の仕事』を読んだ。そこに次のようなことが書いてあった。
「洒落(しゃれ)」の例として「へたな洒落はやめなしゃれ」を挙げていることが、最も『岩国』らしくない、あるいは、『岩国』らしい親父ギャグ via 辞書の仕事 #国語辞典 #辞書
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2014, 2月 20
聞いたような気もするけれど忘れていた。早速『岩波国語辞典』第七版・新版で確認。
「へたなしゃれはやめなしゃれ」 via 岩波国語辞典 第七版・新版。本当だったのか^^ #国語辞典 #辞書 pic.twitter.com/FydlcyESM0
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2014, 2月 20
本当だった。手元にある第三版でも同様だったので、この語釈はずっと踏襲されているのだろう。
著者の増井元氏は1945年生まれ。最近、世間でよく「辞書」を語る人に比べると年配の方。その分、初めのうちはやや「重い」感じもした。とくに「言葉と社会」風の部分についてはちょっと「時代」を感じるかも。でも具体的な「辞書の仕事」についての内容は、とても勉強になった。『岩波国語辞典』や『広辞苑』に携わっていたのだそうだ。
『岩波国語辞典』と言えば、しばしば『新明解』と読み比べてみたりもする。『辞書の仕事』の中にも『新明解』に関する記述がある。
(新明解の)意味の解説については、…意味と意味でない こと…とが混同されているのではないでしょうか via 辞書の仕事 #国語辞典 #辞書
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2014, 2月 20
そう。確かにそんな感じをうける。ただ、なぜ『新明解』がそうならざるを得なかったかは、『辞書になった男』を読むと、わかったような気になることができたりもする。