気になる言葉 on 国語辞典

つい気になった言葉など、辞書で引いてみる

(今更ながら)「疎開」はそもそもどういう意味だ?

学童疎開」なんて言葉は一般的だし、「強制疎開」で家を失ったなんて話を本で読むこともある。だけど「疎」に「開」く「疎開」ってもともとどういう意味なんだ?

広辞苑』第六版にのる最初の定義は次のようなものだ。

そ‐かい【疏開・疎開
(1) とどこおりなく通ずること。開き通ずること。 

 漢字の雰囲気とは相通じるものの、なんのことだかわからない。

略してある部分に説明があると思われるかもしれないが、この語義については追加の説明もなく、ただこれだけだ。全文を引いておこう。

そ‐かい【疏開・疎開

(1) とどこおりなく通ずること。開き通ずること。

(2) 戦況に応じて隊形の距離・間隔を開くこと。

(3) 空襲・火災などの被害を少なくするため、集中している人口や建造物を分散すること。疎散。

一般的に用いられるのは3番めの意味だろう。実際、『新明解』第七版は3番めの意味のみを載せている(第四版には別の意味も載せていた)。ともかく1番めの意味がよくわからず、それぞれの関係もいまひとつ見えてこない。 

理解しようとするならば、『日本国語大辞典』を頼る必要がありそうだ。

そ‐かい 【疎開・疏開】
〔名〕
(1)とどこおりなく通じること。開き通じること。また、木の枝を刈り込んでまばらにすること。疎通。
(2)軍隊で、敵の砲弾からの危害を少なくするため、分隊、小隊、中隊などが相互の距離間隔を開くこと。
(3)空襲・火災などの被害を少なくするため、都市などに密集している建造物や住民を分散すること。

なるほど「木の枝を刈りこんで」の表記で「とどこおりなく通じる」もなんとなくイメージできるようになる。

さらには語誌欄が理解の助けになる。こちらもすべて引かせてもらう。

(1)明治時代から見える語だが、挙例の「漢英対照いろは辞典」「新編漢語辞林」にあるように、当初はもっぱら(1)の意で用いられていた。

(2)大正から昭和初期にかけて(2)の軍隊用語として定着するが、第二次世界大戦が始まると、(3)の意で一般社会でも用いられるようになった。

(3)(3)には「生産疎開」「建物疎開」「人員疎開」の三種類があるが、これは第二次世界大戦下のソ連における工業施設疎開や、ドイツのベルリンで行なわれた人口疎開に学んで実施されたもの。

まず別の意味として用いられるようになり、そしてその比喩的な側面が専門用語として定着し、それが一般に広がっていったということか。

建物疎開と都市防空: 「非戦災都市」京都の戦中・戦後 (プリミエ・コレクション)

建物疎開と都市防空: 「非戦災都市」京都の戦中・戦後 (プリミエ・コレクション)

 

そのような歴史を全く想像することもなかったな。

ところでこうしたことを理解してから眺めると、『三省堂国語辞典』が頑張っている。

長くなってしまったけれど『新明解』第四版もとてもわかりやすいので引いておこう。

そかい【疎開
空襲などに備えて、都市に集中している住民が地方に引っ越しすること。「強制疎開〔=くっつき過ぎているものの間を広げ、敵襲・火災などによる損害を出来るだけ少な目に食い止めるために、住民をよそに移させること〕」

「間を広げる」というような、オリジナルの意味で使わなくなったということなのだろう。 

沖縄・戦争マラリア事件―南の島の強制疎開

沖縄・戦争マラリア事件―南の島の強制疎開