この言葉、中学生くらいの頃は「待っていれば海路(=遠路)から良いニュースがやってくる」という意味だと思ってた。
もちろん違う。
待っていれば航海に適した好天気になるということから、すなわち時期を待てば好機が訪れるという意味(今はこぎいでな、系の言葉だ)。
海路といえば「船の通るみち」というような意味で、「みちの日和」と言われてもよくわからない。それもあって誤解していたんだろうな。
ところで、「待てば海路の日和あり」というのは「待てば甘露の日和あり」を言い換えたものなんだそうだ。
『デジタル大辞泉』にも次のようにある。
待(ま)てば海路の日和(ひより)あり
待っていれば、海の静かないい日和がやってくる。「待てば甘露の日和あり」の言い方を変えたもので、意味は同じ。
はて。「甘露の日和」とは何か。『日本国語大辞典』の「待つ」のところに記載があった。
まて ば 甘露(かんろ)の日和(ひより)あり
(「甘露」は中国の伝説で王者の仁政に感じて天が降らせる甘味の液のこと)じっくりと落ち着いて待っていると、甘露の降るような日和があるの意。待っていれば良い時機が到来する。
なるほどなあ。
「甘露」を「海路」にしただけでなんだか安易な言い換えだなあとか、甘味の液なんかが降ってくるとべたべたしやしないかとか、悪政を行う者が「待てば甘露」だとか言い訳にしやしないかとか、いろいろといらんことを考えたりもするな。
ちなみに『成語林』によれば反対語は「寝ていて牡丹餅は食えぬ」であるそうだ。ところでその類義語は「運を待つは死を待つに等し」。ふ〜む。