あはれなりわが身のはてやあさ緑つひには野べの霞と思へば(小野小町)
野べの霞というのは、死んで火葬されるとき、その煙がたなびくさまを言ったと解されている
そういえば「野辺」というのはどこ(何)のことだっけ?
身近にある最新の辞書である『広辞苑』第七版で見てみた。
のべ【野辺】
(古くはノへとも)
(1)野のあたり。のら
(2)埋葬場。または火葬場。
実は「野辺」の言葉を「野辺の送り」というフレーズでしかしらない。それで「野辺」を辞書で引いてみたわけだが、よけいにわからない^^。
「野のあたり」とはなんだ? 「野のあたり」でない場所はなんだ?
こういう歴史的な、あるいは高尚な(?)言葉が意味不明なときは、『三省堂国語辞典』が直球で教えてくれるはず。そんなわけで引いてみた。
のべ【野辺】
のはら(のあたり)
どわっはっは。わからねーよ。耳にしたことのある「野辺の送り」とも結びつかないし、「のはら(のあたり)」の「のあたり」ってなんだ。
きっと、教養に欠けるぼくには、「野辺」という言葉を単独で理解するのは無理なことなのだろうなあ。
せめて用法を知ろうということで、「野辺の送り」を『日本国語大辞典』で見てみた。「のべおくり」に飛ばされたのでそちらを引いておく。
のべおくり【野辺送】
なきがらを、火葬場や埋葬場までつき従って送ること。また、その行列や葬式。葬列には位牌・花籠・四花(しか)・龍頭(たつがしら)など地方によっていろいろの依代(よりしろ)があって、途中で死者の霊が逸脱しないように墓地や火葬場まで送り届ける。とむらい。野送り。野辺の送り。野辺。
前半はまあ、ぼくも知っている意味の定義だと言って良かろう。しかし後段が怖いな。「依代」をもって、死者の霊が「逸脱」しないようにするんだ。
「死者の霊が逸脱しないように」云々の話を初めて聞いたのは小学生の頃だったか。祖父がなくなった頃の話だ。
ぼくは当時から、死者の霊が逸脱したがっているのであれば、逸脱させてあげるのが「優しさ」とか「肉親の情」なんじゃないかと思い続けている。逸脱させないことこそ、本当の優しさであるということはさまざまなお話などで書かれているところではある。ただ、ぼくはどうにも納得できずにいたりするのだ。
そんなぼくは、きっと見送る身内もない中、精一杯逸脱しようとしてしまうのではないかと、まあ、恐怖している。
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