「霧」も「霞」も、もともと「動詞」なんだそうだよ。知らなかったなあ。
たとえば「霧」。『日本国語大辞典』でみてみる。
きり 【霧】
(動詞「きる(霧)」の連用形の名詞化)(1)空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となり、地表近くの大気中に煙のようになっている自然現象。気象用語としては、水平視程約一キロメートル以遠の視界を妨げている状態とされる。古くは四季を通じて用いたが、平安時代以降は春立つものを霞(かすみ)、秋立つものを霧という伝統的季節美の概念が成立した。現代、気象用語としては季節にかかわりなく用いられている。《季・秋》
「きる」という動詞が名詞化したんだそうだ。「きる」という動詞をどのように使ったかは面倒だから調べない^^。
もちろん「霞」は調べてみる。同じ辞書から。
かすみ 【霞】
(動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化)(1)空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で、空や遠景がぼんやりする現象。また、霧や煙がある高さにただよって、薄い帯のように見える現象。比喩的に、心の悩み、わだかまりなどをいうこともある。《季・春》
「かすむ」ってのは、「目がかすむ」とかの「かすむ」なのかな。まあ面倒だから詳細は略。
「両方とももともとは動詞だったのか!」と驚きつつ、実は「霧」を引いたのは、語源を調べるためじゃなかった。「霧」と「霞」の違いが知りたかったのだった。
答えはもうすでに引用してある。上に引いた「霧」の項に書いてある。
古くは四季を通じて用いたが、平安時代以降は春立つものを霞(かすみ)、秋立つものを霧という伝統的季節美の概念が成立した。現代、気象用語としては季節にかかわりなく用いられている。
ニュアンスとしては理解できるね。ただし、なぜそもそも区別したのかはよくわからない。もちろん、めんどうだから詳細には立ち入らない^^。
両方とも同じものだと知らなかったし、また、ともに「動詞」から生まれたとも知らなかった。 「伝統的季節美の概念」に疎いのだなあ>自分。
あ。突然思い出した。「摩周湖」。
恋人と摩周湖に行って、霧がはれていると別れるとか、あるいはひとりで行ってもはれていたら出世できないとかいろんな話をきいたことがある。ぼくは一度だけ行ったことがあるんだけど、霧も霞も全くなくて冴え渡っていたなあ。
それがぼくの人生に影を落としているのかどうかは不明だ。確かに、一緒に摩周湖を見に行った人とは、縁がなくなってはしまったなあ…