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気になる言葉 on 国語辞典

つい気になった言葉など、辞書で引いてみる

「天文学的」数字は大きいのか? あるいは未来永劫大きいのか?

『巨大数』という本を読んでいた。

巨大数 (岩波科学ライブラリー)

巨大数 (岩波科学ライブラリー)

 

その中に、実は「天文学的数字」ってのは大きくないのではないかという記述があった。なるほど、そうかもしれない。

すくなくともぼくは「天文学的」といえば無条件に大きいものだと教わったし感じてきた。しかし、なるほど「ビッグデータ」が言われる時代にあっては、「天文学的」は「日常的」なのかもしれない。

そう思って国語辞典をみていた。意外に多くの辞書が「天文学的」ないし「天文学的数字」を立項している。

たとえば『広辞苑』はこんな感じ。

てんもんがくてきすうじ【天文学的数字
天文学で扱うような桁数の大きな数字。実生活からかけ離れた極めて大きい数。

注目してしまうのは「実生活からかけ離れた」の部分だ。『日本国語大辞典』でも「現実ばなれのした」とある。

そんな国語辞典を読みながらふと考えこむ。

『巨大数』では「天文学的数字」は「日常」になったとする。それについては確かに納得させられる。しかし国語辞典はどうやら「具体的数字」ではなく、「現実離れ」したものを「天文学的数字」と呼びたいようなのだ。

すなわち、旧来の「天文学的数字」が日常となれば、それはもはや「天文学的数字」ではなく、そこからたとえば10の8乗くらい桁数が増えた数字が「天文学的数字」となるわけだ。

この定義はなかなか柔軟性をもっているな。1998年くらいに使っていたぼくのMacintosh IIfxは、20MBのメモリを積んでいた。それが「大容量」を意味した。当時は「ギガバイト」ってのは「天文学的数字」だった。ハードディスクですらメガバイトが単位で、「テラ」というのは単純に「スーパー」を意味していた。

そんな時代はとっくに「古いもの」になった。しかし「天文学的数字」を「実生活からかけ離れた数字」と定義しておけば、それは陳腐化しないわけだ。

科学の進化がモノサシではかれない時代、多くの辞書にみられる「天文学的数字」の定義は確かに面白い。

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