『広辞苑』を眺めていると、「念動」という言葉をみつけた。もちろん「サイコキネシス」(超能力の一種)の意味だ。この言葉、『日本国語辞典』にも載っているけれど、小型辞書にはあまり載っていないみたいだな。
ただし「テレパシー」は、より一般的な用語らしくいろいろな辞書に載っている。で、小学生向けの辞書を見てちょっと驚いた。まあ笑いながら驚いたんだけど。
たとえば『チャレンジ小学国語辞典』をみてみる。
テレパシー(telepathy)
目・耳・口などを使わないで、思ったことや感じたことが心から心に直接伝わること。
この表現はちょっとおもしろい。テレパシーが実際の能力であるとしているように読めるからだ。
『小学新国語辞典』もみてみた。
テレパシー(telepathy)
言葉や表情・手振りなどを使わないで、考えや気持ちが、心から心に直接伝わること。
同じような感じだな。どちらもテレパシーを実際の能力であるかのように説明している。
もしかすると「テレパシー」を「超能力」であるとするのは「古い考え」なんだろうか。
そんなわきゃあなかろうと、子供のような夢を語りつつも、大人の辞書であるはずの『新明解』をみてみた。
テレパシー(telepathy)
遠く離れている人どうしの互いの気持ちや考えていることが、一種の心霊現象で分かること。
ふむ、やはり「心霊現象」と書いてあるね。「一般的」な能力では(まだ)ないようだ。
ところでこの『新明解』。「互いの気持ち」としているところに違和感は感じるな。一般的にテレパスとは、人の気持を読み取るのみで、自分の気持を伝えたりはしないと思う。
「サトラレ」は自分の気持は伝えまくるけど、相手の気持ちはわからないしな。
「互いの気持ち」と定義した『新明解』はちょっと謎だ。
ちなみに『新明解』のライバルである『三省堂国語辞典』は次のような感じ。
テレパシー(telepathy)
(1)ことばや身振りなどにたよらないで、相手の考えを知る術。精神感応術。
(2)略
やっぱりふつうは「相手の考え」を知る術だよな。ただし、この定義では、小学国語辞典と同様に「テレパシー」が「一般的能力」であるように読めてしまうというのはある。
あるいは。「超能力」について正確なところを過不足なく表現すると、何かの陰謀に巻き込まれてしまうのかもしれないな。みんないろいろと気を配っているのかもしれない。