うちには音楽CDが1000枚くらいある。もっとあるかもしれないけれど、1000枚を下回ることはない。
それが何を意味するかといえば、ぼくがジジイであること。今の人々はCDなんてものを必要としない。
インターネット音楽配信は「ダウンロード」が主流だったが、昨年は「ストリーミング」が音楽配信の売上額の54%に達し、ダウンロードを上回った。 via #日経新聞
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2019年5月13日
CDアルバム、1億枚下回るhttps://t.co/84BFOs0AmR
しっかしまあ。音楽って変わったね。ぼくの世代では、「アルバム」(LP)を聴くとは、少なくとも歌詞を覚え、バンド野郎的にはギター(やベース、ないしキーボード)で弾けるようにすることを意味していた。
おかげさまで、ぼくはたとえばビリー・ジョエルなら『ガラスのニューヨーク』のアルバムまで、ぜんぶ歌詞をみないでカラオケを歌える。
とうぜんながら曲順もふつうに覚えている。ぼくの中学高校時代ってのは、それが「よくある」(ふつうの)音楽の楽しみ方だった。
ま、昔話はともかく。
上の日経新聞の記事に出てきた「ダウンロード」から「ストリーミングへ」って話。国語辞典的にいって「ダウンロード」ってなんなんだっけ?
たとえば『新明解』の「最新版」をみてみる。
ダウンロード
パソコン通信などで、ホストコンピューターから端末装置にデータを転送すること。
ふふ。ニフティサーブで「シスオペ」をしていたぼくには、「パソコン通信などで」という説明は懐かし嬉しい表現だけど、いまや通じないんだろうなあ。
わりと最近でた『広辞苑』第七版をみてみる。
ダウンロード
プログラムやデータを、サーバーなどのコンピューターから、ネットワークを介して別のコンピューターに転送すること。
なんか惜しい感じがするね。第六版からは変更があるのかどうか。第六版を見てみる。
ダウンロード
プログラムやデータを、あるコンピューターから、それに接続した下位のコンピューターに転送すること。
なるほどな〜。「下位」というヒエラルキーを廃して「サーバーなど」と書いたのが「おしゃれ」なところか。
1990年代まで、データやプログラムを保存しておく「元」という概念があった。2000年代になって、だんだんと「元」の概念が薄れいていったんだな。
ぼくが『Twitterville』という本を翻訳した頃には「共有」とはダウンロードしてともに保持することではなく、たんに「URLを共有」することになっていた。ぼくはそれにすごく違和感を感じて訳語に悩んだりしたのだった。
Twitterville: How Businesses Can Thrive in the New Global Neighborhoods (English Edition)
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振り返れば、「ネットワーク」とか「ダウンロード」とか、「共有」という言葉の「ニュアンス」が、大いに変動した30年(平成時代)だったかな。
令和に出る国語辞典の「ダウンロード」は、ちょっと楽しみだな。