恥ずかしいんだけど。ぼくは中学時代に「切願」という言葉を多用した記憶がある。いや、もちろん、友人に対して用いるほど恥知らず^^ではない。「日記」(笑)に記していたのだ。
わたしはあなたがたに切願する。大地に忠実であれ、そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな、と。
— maeda, h (@torisan3500) 2023年3月8日
via 『ツァラトゥストラはこう言った』(上)https://t.co/uPy0nK1db6
で、思い返してもよくわからない。ぼくはどのような状況で、どんな出典から学んで「切願」なる語を使うようになったんだろうなあ?
ぼくが「ツァラトゥストラ」を読んだのは高校時代だ。中学時代に知るわけもない。いつ知ったんだろうと考え、青空文庫にヒントがあるかなと「切願 site:aozora.gr.jp」を検索してみたけど、どうおも思い当たらない。
たぶん。ぼくは「切願」に辞書で出会ったんだろう。
せつ‐がん[‥グヮン] 【切願】
しきりにねがうこと。切にねがうこと。また、切なる願望。切望。
上は日本国語辞典。「切に」という言葉に惹かれて、ぼくは「切願」という言葉を使いたくなったんだと思う。
そんなこんなで。ぼくにとって「切願」はちょっと恥ずかしい記憶を思い起こさせる用語だった。ただ、「ツァラトゥストラ」を読み返せば、かなりふつうに「切願」を使ってる。
もしかして。「切願」を多用した、ぼくの中学時代を恥じる必要はないのかもしれない(いや、たぶんある(笑))。
# ちなみに。今のぼくにとって「切願」は「落雁」と同じくらいの重み(importance)だ。