小学生低学年の頃、大分県杵築市寺町というところに住んでいた。クラスメイトにも「伊藤さん」という、お寺の子(可愛い)がいたな。
その寺町では、大晦日に多くの寺が一斉に除夜の鐘をつく。一般の人も並んで鐘をついたりしていた。回数のカウントはいいかげんだったけど、一般に108回つくものだと教わったな。それが人間の煩悩の数だからと。
そんな知識は持っていたけれど、「百八煩悩」という言葉があるのは知らなかった。
続きを読む国語辞典を眺めていると、「生繭」(なままゆ)という言葉に出会った。意味は文字通りなんだけど、ちょっとびっくりしたな。
続きを読む生繭(なままゆ)とは、蛹が生きている状態の繭。こんな言葉があるのは日本文化だなあ… via 岩波国語辞典 pic.twitter.com/CdoZka2Rvd
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2019年12月14日
話題になっているらしい、『地図帳の深読み』という本を読んでいる。のっけから(「のっけから」という言葉もあまり聞かなくなったな…)「知らねえよ、それ」な用語に出会った。
その語とは「等高段彩」だ。
続きを読む学校で用いられる地図帳には、戦前から伝統的に等高段彩(高度段彩)が用いられてきた。
— maeda hiroaki (@torisan3500) 2019年12月9日
via 『地図帳の深読み』(今尾恵介) https://t.co/PNTr2CIJiZ
小学生用のとある問題集に「練成問題」というのがあった。それを解き進める小学生いわく「私、ねりせい問題嫌い!。難しいもん!」。
それを聞いて「ねりせい」とか読んでるようじゃあなあ、、、なんて思ったものだった。
続きを読む今を生きている人には関係ない言葉なのかもしれないな。でも53歳のぼくの青春時代、「テクノ」は「黒船」なみの衝撃をもってやってきた。
辞書にあっても不思議ではないな、と探してみた。
『新明解』の第三版を眺めていた。目についたのは「ちょこなんと」。第三版を引く。
ちょこなんと
回りから離れて、小さなそのものだけが、じっとかしこまっている様子。ちょこんと。
違和感を感じないだろうか? 文章が変(「小さなそのものだけが」とかひどいよね^^)なのは良いとして、「ちょこなんと」するのは「小さな」ものだけしかできないのか?
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